#12 Beans Bomb

どのようなことをやっても考えてしまうのは、原発のことになる。授業という枠組みの中に、ある別の枠組みを適用することで、いや自覚することで、それがそのままある種の表現活動へと変貌しているように思える。そのことは毎週助けになっている。自らが学びにいくという態度において仕事をすることは、自分を取り巻く様々な状況に目を向けざる負えない、考えていかざる負えない。そしてそれは大変だが、大変心地よいというサイクルに身を投じられることなので大変感謝している。けれども、どうもやはり話すべきは原発のことになってしまう。アプローチは異なっていても、結局ほぼ毎週同じようなところをグルグルしているような気がする。学べたと自覚するまではやはり時間がかかるのか。

#8 Climbing up a cliff with cut off the view

大変なことが起きてしまった。いやどれだけ無頓着にただ流されるように生きてきたかを思い知らされた。なんとなく反原発を志向していたことに。これからどうすべきか、実質的な行動に移すこともできない僕ができること。できないことを見つめた方が良い気もするが、不謹慎という意識がよぎる。ドイツ気象情報の放射性物質拡散予報をチェックしている。京都は遠くはなれている。ひょっとしたら中国からの黄砂にも多分に含まれていると思う。しかし、娘のことを考えるとたとえ1ミリでもと思ってしまう。それさえも、悲惨な状況の人々と比べると大した事ないと思わなければいけないのだろうか。

#6 Body Montage

横浜・寿町にて行われた当実験は、色んなことを考えさせられた。寿町に足を踏み入れようとする人間に、まさにその直前に、事前情報として、あるいは、彼/彼女に降り掛かるかもしれない出来事を危惧して、少しばかかり自分の方が「知っている」というただそれだけで、けれども、そうしたおせっかいがステレオタイプな寿町のイメージ形成に加担していることに気付きながらも、結局そのイメージを伝達していることに。何もいうべきではなかったという松渕の指摘。確かにそうである。そして山川の指摘もとても大切だった。3月11日から始まる寿町でのグループ展のようなものへは、自戒をこめて望みたいと思う。