#17 Feeling of radiation

目と鼻を塞げば放射能を感じられるわけでもない。しかし、その状態で感じる街をウロツく怖さが少なくとも僕にとっては放射能の恐怖として想像することができる実験となった。以前数度行った実験に鼻を塞ぐアレンジを加えただけだが。とはいえ、そのようなものが蔓延しつつ/している大地に暮らすことを引き受けていかなければならない状態。そのことについては「憤り」では表せない。東電や政府がどうのではない。彼らの信頼は最初から失墜している。彼らは最初から何も思考できていない。ただ我々の民主主義とは一体どういったものだったのだろうか。人に命ではなく、組織や機能を優先する社会とは何なのだろうか。オサマの死のように、人の死に狂喜乱舞するNYの一部の人々の行為が平然とする社会とは一体何なのだろうか。

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#8 Climbing up a cliff with cut off the view

大変なことが起きてしまった。いやどれだけ無頓着にただ流されるように生きてきたかを思い知らされた。なんとなく反原発を志向していたことに。これからどうすべきか、実質的な行動に移すこともできない僕ができること。できないことを見つめた方が良い気もするが、不謹慎という意識がよぎる。ドイツ気象情報の放射性物質拡散予報をチェックしている。京都は遠くはなれている。ひょっとしたら中国からの黄砂にも多分に含まれていると思う。しかし、娘のことを考えるとたとえ1ミリでもと思ってしまう。それさえも、悲惨な状況の人々と比べると大した事ないと思わなければいけないのだろうか。

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